西南の役 薩摩軍と官軍の激しい攻防の舞台に
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江戸時代、細川家の居城となった熊本城でしたが、
明治になって、再び、歴史の舞台に登場します。
明治10年に起きた、日本最大の内戦と言われる、西南の役です。
(「しゃーなんのやく」と読んだアナタ、麻雀のやりすぎです)
明治政府に反旗を翻した、西郷隆盛ひきいる薩摩軍が、官軍と
長期攻防戦を展開した城です。
やがて、薩摩軍は鹿児島へと敗走し、西郷の自刃をもって、
西南戦争は終結したのでした
かくまでの人望を一身にになってきたし西郷隆盛は、
「金も名誉も地位も命もいらないやつほど、始末におえぬ者はない。
しかし、そんな者でなければ本当の仕事はできぬ」
と、常々、語っていたそうです。
この熊本城攻防戦で、一時建物は消失しましたが、再建され、
往時をしのばせる威容を、今に伝えています。
すでに、築城400年を迎えた、熊本城をあとに、次は、山口県へ、
向かいましょう。
火の国 熊本城から さくらの旅スタートします
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燃える火の国 熊本城から旅をスタートします。
加藤清正公が築いた熊本城は、日本三名城に数えられています。
特に、「武者返し」といわれる、反り返った石垣は、有名で、ここを
登ってきた武者が、ほぼ垂直に反り返っている石垣のため、それ以上
登れなくなってしまう、というシロモノです。(いや、シャレじゃなくって)
そこに、さくらが、よく合うのです。
この清正公、地元では「せいしょこさん」と呼ばれ、親しまれています。
「その慈悲、仏のごとし。日本人中の好人なり」と、朝鮮の王からも、
慕われたと、伝えられています。