忍者ブログ

[PR] 

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



東京・水道橋界隈 ビルの谷間に咲く力強さ 

神田川 後楽園
        ↑<上の写真をクリックすると、大きな写真になります>↑

────────────────────────────


 東京の、JR水道橋駅周辺で、きれいな桜を探してみました。


ビルの谷間にも、力強く咲く、たくさんの木々を見つけることが


できました。


 なお、今回、撮影には行かなかったのですが、東京都大田区に


「桜坂」があり、デートスポットとして、有名です。というのも


この桜坂付近に住んでいたことがある、と語る福山雅治が、平成


12年に放ったヒットで彼の代表曲ともなった「桜坂」のおかげ


で、一気に同名の「桜坂」が知られるようになったのでした。


 もっとも、福山さん語るには、この曲の本来のモチーフは、彼


の故郷である長崎の松島の「桜坂」だとのこと。


 ということは、けっこう全国にも、「桜坂」という名の坂道が


まだまだあるかも知れませんね。


 では、聞いてください。福山雅治で、「桜坂」。




残念ながら、ビデオには、桜は、出てきません。
ギター、あんまり弾いていませんが、おそらくはギブソンの
名器、ハミングバードか?

PR


京都東山「布団着て 寝たる姿や 東山」 

東山1 東山2

        ↑<上の写真をクリックすると、大きな写真になります>↑

────────────────────────────



 京都の町の東に横たわる峰々を、東山といわれます。
 上の写真でも、遠くに見える山並みがそうですね。
 山といっても、さして高くはありませんので、気軽に
登ることができますが、あまり、「登ったぞ!」という人も
いないようで、どちらかといえば、眺めて楽しむ山でしょう。

 この東山の姿を、江戸中期、松尾芭蕉の弟子である服部嵐雪が
「布団着て寝たる姿や東山」と『枕屏風』に詠みました。
 なるほど、そんな姿に見えますね。

 また、東山といえば、「東山三十六峰 草木も眠る丑三つ時」
というフレーズも有名です。
 これは、無声映画の時代、活動弁士という人が、時代劇の語り
の中で使った言い回しで、「あたりの静寂を破り、突如響き渡る
剣戟の響き」などと、続いたものです。

 この場合、丑三つ時というのは、広辞苑によりますと、
「丑の時を四刻に分ちその第三に当る時。
 およそ今の午前二時から二時半」
ということです。そんな深夜に、斬り合いとなれば、そりゃあ、
うるさかったでしょう。まさに「あたりの静寂を破る」もので、
物騒な話です。

「月はおぼろに 東山」と始まるのは、祇園小唄です。



 祇園とは、仏教から出た言葉で、お釈迦様が説法された場所の
一つに、祇園精舎、というところがありました。平家物語にも、
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」と語られています。

 というわけで、上の動画。
 その祇園の、舞妓さんの歌と踊りですが、こういう楽しいひと
時は、確かに俗世の喧騒を忘れさせてはくれますが、一夜明ければ、
また儲かった、損した、という、露の世に逆戻り、まさに「諸行無常」
と、知らされるばかりです。

六つの景観を兼ね備えた名園 金沢「兼六園」 

兼六園1 兼六園2
        ↑<上の写真をクリックすると、大きな写真になります>↑

────────────────────────────



 岡山の後楽園、水戸の偕楽園とならんで、日本の三名園といわれるのが

金沢市の兼六園です。

 江戸時代、加賀藩の庭園として造られ、四季折々、すばらしい景観を見せ

てくれます。冬の「雪吊り」などは、日本を代表する初冬の風物詩といえる

でしょう。


 春の桜も、見事で、シーズンには、たくさんの県内外の観光客でにぎわい

ます。石川城も含めて、商用撮影には、事前の許可が要りますので念の為。


 さて「兼六園」の名前の由来について、兼六園公式ホームページから教えて

もらいましょう。

 リンク元は、↓こちらです。↓

すぐれた景観の代名詞「六勝」


<六勝とは、[宏大(こうだい)][幽邃(ゆうすい)][人力(じんりょく)]

[蒼古(そうこ)][水泉(すいせん)][眺望(ちょうぼう)]のこと。

 宋の時代の書物『洛陽名園記(らくようめいえんき)』には、「洛人云う

 園圃(えんぽ)の勝  相兼ぬる能わざるは六 宏大を務るは幽邃少なし

 人力勝るは蒼古少なし 水泉多きは眺望難し 此の六を兼ねるは 惟湖園

 のみ」という記述があります。

  その伝えるところは、以下の通りです。


 「庭園では六つのすぐれた景観を兼ね備えることはできない。広々とした

 様子(宏大)を表そうとすれば、静寂と奥深さ(幽邃)が少なくなってし

 まう。人の手が加わったところ(人力)には、古びた趣(蒼古)が乏しい。

 また、滝や池など(水泉)を多くすれば、遠くを眺めることができない」

 そして、「この六つの景観が共存しているのは湖園(こえん)だけだ」と

 結ぶのです。すばらしい景観を持した庭園として賞された湖園。兼六園は、

 この湖園に似つかわしく、六勝を兼ね備えているという理由から、文政5年

 (1822)、奥州白河藩主・松平定信によってその名を与えられました。>


 なるほど、すべてにおいて優れた庭園というのは、なかなかないものだ、

ということですね。


 人間でも、すべての面で優れている人、というのは、なかなかありません。

長所もあれば、短所もある。得意もあれば、不得意もある。得手もあれば、

苦手もある。みんな、そうです。


 短所を直していく努力も不可欠ですが、同時に、長所をどんどん伸ばして

いくこともたいせつです。欠点の克服ばかりでは、ややふさぎがちな人も、

長所を伸ばすように縁を与えると、俄然、張り切る人もあります。

 子供の教育でも、そうですし、会社や団体での、適材適所ということにも

この「長所を伸ばす」という考え方、大事なことだと思います。


 最後に、理系に関心ある方へ、情報デス。

 池の噴水は有名ですが、実はこれ、高台にある霞ケ池から、管で引いただけで、

その池と、この噴水との「位置エネルギーの差」だけを利用して、水が吹き上が

っているものです。したがって、吹き上がる高さは、ちょうど、霞ケ池の水面の

高さまで、ということになっています。ということは、霞ケ池の水位が変われば

噴水の吹き上がる高さも変わる、ということです。


 日本最古の噴水といわれていますが、なかなかハイテクな噴水です。
 


清水の舞台 飛び降りたらどうなった? 

清水寺三重塔 清水の桜
        ↑<上の写真をクリックすると、大きな写真になります>↑

────────────────────────────



 京都観光のハイライトの一つが、東山に建つ、清水寺でしょう。

 平安京に都が移るより以前から、建っていた法相宗の寺ですから、京都

でも、広隆寺、鞍馬寺とならんで、最古の部類に入ります。

 現在では、北法相宗の大本山で、浄土真宗ではお参りしない寺ですから、

もっぱら、桜の撮影のためだけに、立ち寄りました。

 ソメイヨシノ系とヤマザクラ系、それぞれに開花時期がずれますので、

わりと長い期間にわたって花見が、楽しめるスポットになっています。


 東山通のバス停「清水道」から、その名もずばり清水道を登る道もあり、

国道1号線である五条通の交差点、そこから延びる「五条坂」を登る道も

ありますが、最古の参道は北方の、八坂の塔から産寧坂(三年坂)を南下

するルートです。

 
 さて、清水といえば、清水の舞台が有名です。高さ13メートル、ビル

の3~4階分ですから、ここから落ちたら助からないのでは?と思います。

 そこで、一大決心をするときに、「清水の舞台から飛び降りる覚悟で」

などと言ったり致しますが、実は、1694年~1864年の170年間

で、234件の飛び降りがあり、生存率85.4パーセントだったという

史料が残っています。

 明治5年に、政府が禁止令を出したので、その後は、数は減ったそうで

すが、中に、こんな人もあったと新聞に出ていたそうです。


 人生に絶望した某県の25歳の男性が、「同じ死ぬなら、有名な清水

さんで」と舞台から投身した。ところが、桜の木にひっかかり、万に1つ

の命をひろった。

「命が助かったのは、何かの因縁。今度は死んだつもりで、頑張ります」

男は改めて、本尊に誓って去って行った・・・・のだそうです。


 行く先も分からぬまま、真っ暗な後生に自ら飛び込む愚かさを、仏教を

説かれたお釈迦さまは戒めておられます。

 そして、苦しくとも生きねばならない崇高な目的がある、人として生ま

れて来なければ絶対に果たせぬ大事業のあることを、教えていかれました。


 清水の舞台から飛び降りるほどの気持ちがあるなら、その覚悟で、人生

究極の目的に向かって、進ませていただきましょう。


京都・御室の桜 

仁和寺1 仁和寺2
        ↑<上の写真をクリックすると、大きな写真になります>↑

────────────────────────────



 御室桜(おむろざくら)の名で知られる、京都御室仁和寺の桜です。

 ここは、真言宗の寺ですので、あくまで、桜を撮影するためだけに

立ち寄りました。

 仁和寺(にんなじ)の本尊は、阿弥陀如来坐像です。

 阿弥陀如来なら、真宗の人もお参りしてよいのでは、と思われるか

も知れませんが、そうではありません。


 ピンと来た方もあるでしょうが、ここの阿弥陀如来は「坐像」です。

座っておられる阿弥陀様です。

 浄土真宗では、たとえば絵像、木像の阿弥陀如来像でお分かりのよ

うに、立像、立っておられる阿弥陀様です。

 その違いは、どこにあるのでしょうか。


 座っておられるのは、たとえて言えば、お医者さんが病院で患者さん

を診察している、いわゆる「宅診」のようなものです。具合が悪かった

ら、どうぞいらしてください。診察しましょう、ということです。


 しかし、ほんとうに具合が悪い時には、病院まで行くことができない。

そんな重病の患者さんへは、お医者さんは「往診」をします。

 ちょうど立っておられるのは、この「往診」にあたります。


 欲や怒りの煩悩にけがれ、悪しか造れないのが十方衆生(すべての人間)

と見抜かれた阿弥陀如来。それは、ちょうど、とても病院まで来ること

などできない、重病人のような者だと、私たちの姿を見てとられたので

ありました。

 そこで、阿弥陀如来のほうから、私たちのほうへと、ちょうど往診して

くださっているのが、立っておられる阿弥陀様なのです。


 座っておられるのは、だから、本当の阿弥陀様ではないということです。


 ただ、しかし、桜はとってもキレイでしたので、撮影してきました。

 ご了承ください。



04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
H N:健太

年 齢:昭和生まれ

性 別:男性

誕生日:10月31日

職 業:団体職員

趣 味:写真やビデオの撮影

     ギターも大好き

自己紹介:桜が好きで始めました

    親鸞聖人を心から慕ってます