東京・水道橋界隈 ビルの谷間に咲く力強さ
↑<上の写真をクリックすると、大きな写真になります>↑
────────────────────────────
東京の、JR水道橋駅周辺で、きれいな桜を探してみました。
ビルの谷間にも、力強く咲く、たくさんの木々を見つけることが
できました。
なお、今回、撮影には行かなかったのですが、東京都大田区に
「桜坂」があり、デートスポットとして、有名です。というのも
この桜坂付近に住んでいたことがある、と語る福山雅治が、平成
12年に放ったヒットで彼の代表曲ともなった「桜坂」のおかげ
で、一気に同名の「桜坂」が知られるようになったのでした。
もっとも、福山さん語るには、この曲の本来のモチーフは、彼
の故郷である長崎の松島の「桜坂」だとのこと。
ということは、けっこう全国にも、「桜坂」という名の坂道が
まだまだあるかも知れませんね。
では、聞いてください。福山雅治で、「桜坂」。
残念ながら、ビデオには、桜は、出てきません。
ギター、あんまり弾いていませんが、おそらくはギブソンの
名器、ハミングバードか?
京都東山「布団着て 寝たる姿や 東山」
↑<上の写真をクリックすると、大きな写真になります>↑
────────────────────────────
京都の町の東に横たわる峰々を、東山といわれます。
上の写真でも、遠くに見える山並みがそうですね。
山といっても、さして高くはありませんので、気軽に
登ることができますが、あまり、「登ったぞ!」という人も
いないようで、どちらかといえば、眺めて楽しむ山でしょう。
この東山の姿を、江戸中期、松尾芭蕉の弟子である服部嵐雪が
「布団着て寝たる姿や東山」と『枕屏風』に詠みました。
なるほど、そんな姿に見えますね。
また、東山といえば、「東山三十六峰 草木も眠る丑三つ時」
というフレーズも有名です。
これは、無声映画の時代、活動弁士という人が、時代劇の語り
の中で使った言い回しで、「あたりの静寂を破り、突如響き渡る
剣戟の響き」などと、続いたものです。
この場合、丑三つ時というのは、広辞苑によりますと、
「丑の時を四刻に分ちその第三に当る時。
およそ今の午前二時から二時半」
ということです。そんな深夜に、斬り合いとなれば、そりゃあ、
うるさかったでしょう。まさに「あたりの静寂を破る」もので、
物騒な話です。
「月はおぼろに 東山」と始まるのは、祇園小唄です。
祇園とは、仏教から出た言葉で、お釈迦様が説法された場所の
一つに、祇園精舎、というところがありました。平家物語にも、
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」と語られています。
というわけで、上の動画。
その祇園の、舞妓さんの歌と踊りですが、こういう楽しいひと
時は、確かに俗世の喧騒を忘れさせてはくれますが、一夜明ければ、
また儲かった、損した、という、露の世に逆戻り、まさに「諸行無常」
と、知らされるばかりです。
六つの景観を兼ね備えた名園 金沢「兼六園」
↑<上の写真をクリックすると、大きな写真になります>↑
────────────────────────────
岡山の後楽園、水戸の偕楽園とならんで、日本の三名園といわれるのが
金沢市の兼六園です。
江戸時代、加賀藩の庭園として造られ、四季折々、すばらしい景観を見せ
てくれます。冬の「雪吊り」などは、日本を代表する初冬の風物詩といえる
でしょう。
春の桜も、見事で、シーズンには、たくさんの県内外の観光客でにぎわい
ます。石川城も含めて、商用撮影には、事前の許可が要りますので念の為。
さて「兼六園」の名前の由来について、兼六園公式ホームページから教えて
もらいましょう。
リンク元は、↓こちらです。↓
すぐれた景観の代名詞「六勝」
<六勝とは、[宏大(こうだい)][幽邃(ゆうすい)][人力(じんりょく)]
[蒼古(そうこ)][水泉(すいせん)][眺望(ちょうぼう)]のこと。
宋の時代の書物『洛陽名園記(らくようめいえんき)』には、「洛人云う
園圃(えんぽ)の勝 相兼ぬる能わざるは六 宏大を務るは幽邃少なし
人力勝るは蒼古少なし 水泉多きは眺望難し 此の六を兼ねるは 惟湖園
のみ」という記述があります。
その伝えるところは、以下の通りです。
「庭園では六つのすぐれた景観を兼ね備えることはできない。広々とした
様子(宏大)を表そうとすれば、静寂と奥深さ(幽邃)が少なくなってし
まう。人の手が加わったところ(人力)には、古びた趣(蒼古)が乏しい。
また、滝や池など(水泉)を多くすれば、遠くを眺めることができない」
そして、「この六つの景観が共存しているのは湖園(こえん)だけだ」と
結ぶのです。すばらしい景観を持した庭園として賞された湖園。兼六園は、
この湖園に似つかわしく、六勝を兼ね備えているという理由から、文政5年
(1822)、奥州白河藩主・松平定信によってその名を与えられました。>
なるほど、すべてにおいて優れた庭園というのは、なかなかないものだ、
ということですね。
人間でも、すべての面で優れている人、というのは、なかなかありません。
長所もあれば、短所もある。得意もあれば、不得意もある。得手もあれば、
苦手もある。みんな、そうです。
短所を直していく努力も不可欠ですが、同時に、長所をどんどん伸ばして
いくこともたいせつです。欠点の克服ばかりでは、ややふさぎがちな人も、
長所を伸ばすように縁を与えると、俄然、張り切る人もあります。
子供の教育でも、そうですし、会社や団体での、適材適所ということにも
この「長所を伸ばす」という考え方、大事なことだと思います。
最後に、理系に関心ある方へ、情報デス。
池の噴水は有名ですが、実はこれ、高台にある霞ケ池から、管で引いただけで、
その池と、この噴水との「位置エネルギーの差」だけを利用して、水が吹き上が
っているものです。したがって、吹き上がる高さは、ちょうど、霞ケ池の水面の
高さまで、ということになっています。ということは、霞ケ池の水位が変われば
噴水の吹き上がる高さも変わる、ということです。
日本最古の噴水といわれていますが、なかなかハイテクな噴水です。
清水の舞台 飛び降りたらどうなった?
↑<上の写真をクリックすると、大きな写真になります>↑
────────────────────────────
京都観光のハイライトの一つが、東山に建つ、清水寺でしょう。
平安京に都が移るより以前から、建っていた法相宗の寺ですから、京都
でも、広隆寺、鞍馬寺とならんで、最古の部類に入ります。
現在では、北法相宗の大本山で、浄土真宗ではお参りしない寺ですから、
もっぱら、桜の撮影のためだけに、立ち寄りました。
ソメイヨシノ系とヤマザクラ系、それぞれに開花時期がずれますので、
わりと長い期間にわたって花見が、楽しめるスポットになっています。
東山通のバス停「清水道」から、その名もずばり清水道を登る道もあり、
国道1号線である五条通の交差点、そこから延びる「五条坂」を登る道も
ありますが、最古の参道は北方の、八坂の塔から産寧坂(三年坂)を南下
するルートです。
さて、清水といえば、清水の舞台が有名です。高さ13メートル、ビル
の3~4階分ですから、ここから落ちたら助からないのでは?と思います。
そこで、一大決心をするときに、「清水の舞台から飛び降りる覚悟で」
などと言ったり致しますが、実は、1694年~1864年の170年間
で、234件の飛び降りがあり、生存率85.4パーセントだったという
史料が残っています。
明治5年に、政府が禁止令を出したので、その後は、数は減ったそうで
すが、中に、こんな人もあったと新聞に出ていたそうです。
人生に絶望した某県の25歳の男性が、「同じ死ぬなら、有名な清水
さんで」と舞台から投身した。ところが、桜の木にひっかかり、万に1つ
の命をひろった。
「命が助かったのは、何かの因縁。今度は死んだつもりで、頑張ります」
男は改めて、本尊に誓って去って行った・・・・のだそうです。
行く先も分からぬまま、真っ暗な後生に自ら飛び込む愚かさを、仏教を
説かれたお釈迦さまは戒めておられます。
そして、苦しくとも生きねばならない崇高な目的がある、人として生ま
れて来なければ絶対に果たせぬ大事業のあることを、教えていかれました。
清水の舞台から飛び降りるほどの気持ちがあるなら、その覚悟で、人生
究極の目的に向かって、進ませていただきましょう。
京都・御室の桜
↑<上の写真をクリックすると、大きな写真になります>↑
────────────────────────────
御室桜(おむろざくら)の名で知られる、京都御室仁和寺の桜です。
ここは、真言宗の寺ですので、あくまで、桜を撮影するためだけに
立ち寄りました。
仁和寺(にんなじ)の本尊は、阿弥陀如来坐像です。
阿弥陀如来なら、真宗の人もお参りしてよいのでは、と思われるか
も知れませんが、そうではありません。
ピンと来た方もあるでしょうが、ここの阿弥陀如来は「坐像」です。
座っておられる阿弥陀様です。
浄土真宗では、たとえば絵像、木像の阿弥陀如来像でお分かりのよ
うに、立像、立っておられる阿弥陀様です。
その違いは、どこにあるのでしょうか。
座っておられるのは、たとえて言えば、お医者さんが病院で患者さん
を診察している、いわゆる「宅診」のようなものです。具合が悪かった
ら、どうぞいらしてください。診察しましょう、ということです。
しかし、ほんとうに具合が悪い時には、病院まで行くことができない。
そんな重病の患者さんへは、お医者さんは「往診」をします。
ちょうど立っておられるのは、この「往診」にあたります。
欲や怒りの煩悩にけがれ、悪しか造れないのが十方衆生(すべての人間)
と見抜かれた阿弥陀如来。それは、ちょうど、とても病院まで来ること
などできない、重病人のような者だと、私たちの姿を見てとられたので
ありました。
そこで、阿弥陀如来のほうから、私たちのほうへと、ちょうど往診して
くださっているのが、立っておられる阿弥陀様なのです。
座っておられるのは、だから、本当の阿弥陀様ではないということです。
ただ、しかし、桜はとってもキレイでしたので、撮影してきました。
ご了承ください。