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日露戦勝記念の桜 盛岡・高松の池 

高松公園1 高松公園2
        ↑<上の写真をクリックすると、大きな写真になります>↑

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岩手県盛岡市の高松公園、高松の池の桜は、北上展勝地とともに、

岩手県で2ヵ所、全国桜の名所100選にえらばれています。


この池は、江戸期、南部藩が城下町の建設にあたり、治水の一環と

して沢であったこの地に築いた堤を、のちに池としたものです。

桜は、明治39年、日露戦争に勝利したことを記念して、植樹され

ました。

現在では、池の周辺に800本もの桜が咲き誇り、シーズンには、

たくさんの観光客で、にぎわいます。


しかし、そのもとが日露戦争勝利記念であったことは、意外と知ら

れていないようです。

明治年間、日清戦争で、清(現在の中国)に勝利し、勢いにのる日本

軍は、大国ロシアを相手に、戦争を始めました。陸軍でいえば、旅順

をめぐって、203高地の戦いや、東郷元帥のT字戦法で知られる、

日本海海戦など、海と陸で、激戦となりましたが、当時ロシア国内で

起きた血の日曜日事件や、革命などの混乱、反乱もあって、ロシアは

降伏し、日本の勝利となりました。


このように、決して軍事力で圧倒したとはいい難い戦争でしたが、

とにもかくにも勝利したということで、神国日本は無敵であると

いう幻想が、やがて無謀な中国侵略、そして太平洋戦争へと突入

していった、と指摘する歴史家も多くあります。


そして、太平洋戦争では、神国日本の幻想は極に達し、最後は神風

特別攻撃隊などの悲劇を生むことにもなりました。

そのときの、特別攻撃機に「桜花」という名前がつけられたのも、

今となっては、悲しい歴史でありましょう。


願わくは、そんな悲しい歴史を教訓として、平和と幸福の象徴として

の「桜」を見る、高松の池であって欲しいと、思わずにおれません。

元気な子供たちが歓声をあげて走っていったのが、印象的でした。

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H N:健太

年 齢:昭和生まれ

性 別:男性

誕生日:10月31日

職 業:団体職員

趣 味:写真やビデオの撮影

     ギターも大好き

自己紹介:桜が好きで始めました

    親鸞聖人を心から慕ってます