忍者ブログ

[PR] 

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



琵琶湖疏水~岡崎公園 親鸞聖人の岡崎草庵も近くに 

岡崎公園 琵琶湖疏水
      ↑<上の写真をクリックすると、大きな写真になります>↑

────────────────────────────



 琵琶湖の水を、京都まで引くという壮大な計画が、第三代京都府

知事・北垣国道氏によって提唱され、明治18年から23年までの、

5年の歳月と125万円(当時の市の予算の十数倍)をかけて、

完成しました。


 蹴上発電所、夷川発電所が作られ、紡績,伸銅,機械,タバコ等

の工業に生かされるとともに、明治28年には、路面電車も開業し

て、首都が東京に移ったことで沈んでいた京都市民の心に、希望の

の光が差したのでした。

 
 東山・蹴上から、鴨川に注ぐまでの地域は、岡崎公園として整備

され、動物園、博物館、京都会館などが立ち並んでいます。疎水には

観光船も走り、水上から眺める桜は、見事です。

 岡崎といえば思い出す、親鸞聖人の岡崎の草庵も、この岡崎公園の

北、東西に走る丸太町通りに面して、現存しています。

 また、親鸞聖人が出家得度された、青蓮院も、岡崎公園から南へ、

三条通りを過ぎたところにあります。



「明日ありと 思う心の あだ桜

     夜半に嵐の 吹かぬものかは」

 九歳で出家得度なされた聖人が、詠まれたお歌と伝えられています。

 
 

PR


哲学の道~賀茂の河原 

哲学の道 賀茂川

      ↑<上の写真をクリックすると、大きな写真になります>↑

────────────────────────────


 京都東山に、足利八代将軍・義政が建てた銀閣寺があり、そこから

南へ、南禅寺に至るまでの、琵琶湖疏水の分線に沿ったの道を、

「思索の小径」のちに「哲学の道」といわれるようになりました。

その名は、有名な哲学者・西田幾多郎氏が、この道を歩きながら思索

にふけったということに由来しています。

 道の途中、東山に少し入ったところにある、庭園の美しい法然院

には、西田幾多郎が詠んだといわれる

「人は人 吾は吾なり とにかくに

       吾行く道を 吾は行くなり」

の歌を刻んだ石碑があります。


 さて、この琵琶湖疏水が、やがて賀茂川に流れ込みます。
 
 三条から四条にかけての、にぎやかな「鴨川」とは違い、高野川との

合流点である賀茂大橋以北の「賀茂川」は、市民憩いの場となっています。

 親鸞聖人は、常に

「親鸞、閉眼せば、賀茂河に入れて、魚に与うべし」

とおっしゃっておられました。

 死んだあとの、セミの抜け殻のような肉体の後始末(葬式・法事)に

力を入れるよりも、魂の解決をこの世で果たすことを、急ぎなさい、と

教えていかれました。

 住蓮、安楽が殉教した六条河原も、この流れの南になります。

 さまざまな歴史を思わずにおれない、賀茂の流れです。


古都の水辺にはえる桜 京都・嵐山 

嵐山の桜  嵐山渡月橋と桜 

      ↑<上の写真をクリックすると、大きな写真になります>↑

────────────────────────────


 平安のいにしえより、多くの人が訪れ、春には花見、夏は水に遊び、


秋には紅葉を愛で、冬は雪景色を楽しみ、日本人の心とともに歩んだ、


古都・京都。


 今回からしばらく、京の都で、桜の名所を歩いてみます。



 まずは、嵐山です。渡月橋をはさんで、上流が大堰川(おおいがわ)


下流が桂川(かつらがわ)で、大堰川のさらに上流は、保津川(ほづ


がわ)と言われています。その流域は、林業が盛んで、川を使い、京都


の街へ、木材を運びました。現在、同じコースを船で下ることができ、


「保津川下り」として有名で、夏目漱石の『虞美人草』を始め、水上勉、


三島由紀夫などの作品にも、この川下りが登場します。


 嵐山が、その終点にあたります。



 さて、この渡月橋、一見、木造の橋に見えますが、欄干だけが木で、


あとは鉄筋コンクリート製、車も通れるんですよ。



 この日は快晴で、観光客も多かったのですが、近くのタレントショップ


がにぎやかで、ちょっと雰囲気に合わないかな、と思いました。



秀吉ゆかりの出世城 姫路城 

姫路城とお堀 姫路城天守閣

      ↑<上の写真をクリックすると、大きな写真になります>↑

────────────────────────────


赤松貞範が築城した、国宝姫路城は、その美しいたたずまいから、


「白鷺城」と呼ばれています。


かつて、羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉が居住したことから「出世城」


とも言われています。


一方で、スタートで紹介した熊本城と異なり、一度も戦闘が行われ


なかった「不戦の城」としても、有名です。


この日も、たくさんの人出で、にぎわっていましたが、みなさん、


このお城の映像、どこかで見かけたことありませんか?


実は、とてもきれいに城の形が残っているので、「江戸城」の代わり


に、この姫路城を撮影して使うことがあるそうなんです。


そういえば、時代劇で、観たこと、あるような・・・。




たび重なる洪水にも耐えた 錦帯橋 

錦帯橋と河畔の桜 錦帯橋川と桜

      ↑<上の写真をクリックすると、大きな写真になります>↑

────────────────────────────


山口県岩国市の錦川にかかる錦帯橋は、日本三名橋に数えられて


おります。幅5メートル、長さ193メートルで、5連のアーチ橋で、


組み木の技術によって、作られています。


中国・杭州の西湖にかけられている錦帯橋がモデルになっており、


平成16年、姉妹橋になっています。


(姉妹校、姉妹都市は、よく聞きますが、姉妹橋とは、珍しいです)



延宝2年(1674年)にかけられてより、276年の間、度重なる洪水


にも耐え、その美しい形を保ってきました。


昭和25年、台風により流失しますが、3年後には再建されました。


なお、橋を渡るには、


大人(中学生以上)300円、小人 150円、幼児は無料です。


・・・ところで、平成10年、この橋を、軽トラックで渡った、


けしからぬ男たちがいました。もちろん、逮捕されました。


橋についたキズを修理するのに、220万円もかかったそうです。


くれぐれも、無茶はしないようにしましょう。




05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
H N:健太

年 齢:昭和生まれ

性 別:男性

誕生日:10月31日

職 業:団体職員

趣 味:写真やビデオの撮影

     ギターも大好き

自己紹介:桜が好きで始めました

    親鸞聖人を心から慕ってます