琵琶湖疏水~岡崎公園 親鸞聖人の岡崎草庵も近くに
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琵琶湖の水を、京都まで引くという壮大な計画が、第三代京都府
知事・北垣国道氏によって提唱され、明治18年から23年までの、
5年の歳月と125万円(当時の市の予算の十数倍)をかけて、
完成しました。
蹴上発電所、夷川発電所が作られ、紡績,伸銅,機械,タバコ等
の工業に生かされるとともに、明治28年には、路面電車も開業し
て、首都が東京に移ったことで沈んでいた京都市民の心に、希望の
の光が差したのでした。
東山・蹴上から、鴨川に注ぐまでの地域は、岡崎公園として整備
され、動物園、博物館、京都会館などが立ち並んでいます。疎水には
観光船も走り、水上から眺める桜は、見事です。
岡崎といえば思い出す、親鸞聖人の岡崎の草庵も、この岡崎公園の
北、東西に走る丸太町通りに面して、現存しています。
また、親鸞聖人が出家得度された、青蓮院も、岡崎公園から南へ、
三条通りを過ぎたところにあります。
「明日ありと 思う心の あだ桜
夜半に嵐の 吹かぬものかは」
九歳で出家得度なされた聖人が、詠まれたお歌と伝えられています。
哲学の道~賀茂の河原
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京都東山に、足利八代将軍・義政が建てた銀閣寺があり、そこから
南へ、南禅寺に至るまでの、琵琶湖疏水の分線に沿ったの道を、
「思索の小径」のちに「哲学の道」といわれるようになりました。
その名は、有名な哲学者・西田幾多郎氏が、この道を歩きながら思索
にふけったということに由来しています。
道の途中、東山に少し入ったところにある、庭園の美しい法然院
には、西田幾多郎が詠んだといわれる
「人は人 吾は吾なり とにかくに
吾行く道を 吾は行くなり」
の歌を刻んだ石碑があります。
さて、この琵琶湖疏水が、やがて賀茂川に流れ込みます。
三条から四条にかけての、にぎやかな「鴨川」とは違い、高野川との
合流点である賀茂大橋以北の「賀茂川」は、市民憩いの場となっています。
親鸞聖人は、常に
「親鸞、閉眼せば、賀茂河に入れて、魚に与うべし」
とおっしゃっておられました。
死んだあとの、セミの抜け殻のような肉体の後始末(葬式・法事)に
力を入れるよりも、魂の解決をこの世で果たすことを、急ぎなさい、と
教えていかれました。
住蓮、安楽が殉教した六条河原も、この流れの南になります。
さまざまな歴史を思わずにおれない、賀茂の流れです。
古都の水辺にはえる桜 京都・嵐山
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平安のいにしえより、多くの人が訪れ、春には花見、夏は水に遊び、
秋には紅葉を愛で、冬は雪景色を楽しみ、日本人の心とともに歩んだ、
古都・京都。
今回からしばらく、京の都で、桜の名所を歩いてみます。
まずは、嵐山です。渡月橋をはさんで、上流が大堰川(おおいがわ)
下流が桂川(かつらがわ)で、大堰川のさらに上流は、保津川(ほづ
がわ)と言われています。その流域は、林業が盛んで、川を使い、京都
の街へ、木材を運びました。現在、同じコースを船で下ることができ、
「保津川下り」として有名で、夏目漱石の『虞美人草』を始め、水上勉、
三島由紀夫などの作品にも、この川下りが登場します。
嵐山が、その終点にあたります。
さて、この渡月橋、一見、木造の橋に見えますが、欄干だけが木で、
あとは鉄筋コンクリート製、車も通れるんですよ。
この日は快晴で、観光客も多かったのですが、近くのタレントショップ
がにぎやかで、ちょっと雰囲気に合わないかな、と思いました。
秀吉ゆかりの出世城 姫路城
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赤松貞範が築城した、国宝姫路城は、その美しいたたずまいから、
「白鷺城」と呼ばれています。
かつて、羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉が居住したことから「出世城」
とも言われています。
一方で、スタートで紹介した熊本城と異なり、一度も戦闘が行われ
なかった「不戦の城」としても、有名です。
この日も、たくさんの人出で、にぎわっていましたが、みなさん、
このお城の映像、どこかで見かけたことありませんか?
実は、とてもきれいに城の形が残っているので、「江戸城」の代わり
に、この姫路城を撮影して使うことがあるそうなんです。
そういえば、時代劇で、観たこと、あるような・・・。
たび重なる洪水にも耐えた 錦帯橋
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山口県岩国市の錦川にかかる錦帯橋は、日本三名橋に数えられて
おります。幅5メートル、長さ193メートルで、5連のアーチ橋で、
組み木の技術によって、作られています。
中国・杭州の西湖にかけられている錦帯橋がモデルになっており、
平成16年、姉妹橋になっています。
(姉妹校、姉妹都市は、よく聞きますが、姉妹橋とは、珍しいです)
延宝2年(1674年)にかけられてより、276年の間、度重なる洪水
にも耐え、その美しい形を保ってきました。
昭和25年、台風により流失しますが、3年後には再建されました。
なお、橋を渡るには、
大人(中学生以上)300円、小人 150円、幼児は無料です。
・・・ところで、平成10年、この橋を、軽トラックで渡った、
けしからぬ男たちがいました。もちろん、逮捕されました。
橋についたキズを修理するのに、220万円もかかったそうです。
くれぐれも、無茶はしないようにしましょう。