「不死」の薬を焼いたから 「ふじ山」という説
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日本最高峰3776mの富士山は、富士五湖から見た桜とのコラボも
キレイですが、こちら静岡県側からも、絶景ポイントがいくつもあります。
上の二つは、沼津市付近からのものです。
さて、この「ふじさん」という名前には、諸説がありますが、有名な
竹取物語には、最後にこの山が登場します。
かぐや姫が、いよいよ月の都へ帰らねばならなくなったので、時の帝は、
軍勢を送り、これを阻止しようとします。しかし、願いはかなわず、姫は
月へと帰ります。
その別れにあたり、かぐや姫は、不死の薬と天の羽衣、帝を想う気持ち
をしたためた手紙を贈ったのでした。
けれども、帝は「姫のいなくなったこの世で、いくら不老不死を得ても
意味が無いではないか」と、それらの品を、駿河国(今の静岡県)の、
日本で一番高い山で焼けと命じたのです。以後、その山は「不死の山」
(後の富士山)と言われるようになり、また、その山からはいつも煙が
上がるようになったのでした。
ここに登場する「不老不死の薬」、そういえば、中国で最初に統一国家
をつくった、秦の始皇帝も、野望を成し遂げた最後に追い求めたのは、
不老不死の薬でした。四方に使いを出し、不死の薬を探させましたが、
中の一人は、日本にもやってきた「徐福」という人でした。滋賀県の、
湖西地方には、彼がやってきたことを示す伝説が残っているようです。
だから、始皇帝が不老不死の薬を追い求めたのは、いかに切実であっ
たかが、うかがえます。しかも、ある策士にだまされて「永遠の輝き
を持つといわれる水銀を服用すれば、命永らえることができる」と信
じて、水銀を飲むようになり、かえって命を縮めたと言われています。
皮肉なものです。
いかに不老不死を求めようとも、たとえ強大な権力をもつ皇帝であ
っても、かなわぬ夢でしかなかったのです。
いつの時代でも、人は老い、病に苦しみ、必ず死んでいかねばなり
ません。これを仏教では、「生苦、老苦、病苦、死苦」の四苦で教え
られています。
シッダールタ太子も、この現実に驚かれ、どこかに真の幸せがなか
ろうかと、29歳のとき、地位も、財産も、家族も、すべてを捨てて
さとりを求める道に入られたのでした。
やがて、勤苦6年、35歳の御時に、数あるさとりの中でも最高の、
仏のさとり」を開かれ、釈迦如来となられたのでした。
「不死の山」とも言われる名峰を眺めながら、ふと中国、インドへと
思いを馳せたのでした。