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江戸城 外堀の桜 市ヶ谷も名所の一つです 

市ヶ谷1 市ヶ谷2
      ↑<上の写真をクリックすると、大きな写真になります>↑

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 徳川家康が江戸幕府を開いてより、江戸城の構えはますます整備

されていきました。元々入り江だったところや、天然の河川に加え、

新たに開削した水路を加えて、内堀、外堀の、守りが出来上がって

いきました。

 現在、市ヶ谷駅周辺の水路も、その外堀(濠)の一部です。特に

飯田橋から市ヶ谷にかけての土手の桜は、多くの花見客でにぎわう

ところです。酔っ払いが多いのが、ちょっと困りますが・・・。


 さて、その外堀は、両国橋~神田の万世橋(秋葉原そば)~水道橋

~市ヶ谷~四谷~赤坂~溜池~虎ノ門~御成門~東京湾へ と続く

壮大なものです。

 さらに、内堀が、ほぼ現在の皇居周辺の堀と重なりますから、

水路によって厳重に護られていたのが、江戸城だったと分かります。

 これほど壮大な城を築き、280年にも及ぶ幕府の基礎を築いた

徳川家康でしたが、晩年には、

「人の一生は 重荷を背負って 遠き道を行くが如し」

と語ったといわれます。

 人の一生と言ってはいますが、家康は、自分の一生を語ったので

ありましょう。重荷とは、苦しみですから、死ぬまで人生の様々な

苦難を背負い、遠き道、つまり果てしない旅路を、死ぬまで歩み続

けねばならなかったと、嘆いております。

 壮大な城を築いても、征夷大将軍に昇りつめても、真の安心も、

満足も、なかったことがうかがえます。


 写真では、その堀にそって走るJR中央・総武線が写っています。

また、水面で鴨が遊んでいたので、こちらも撮っておきました。

 都会の喧騒から、一歩入ったところにある、外濠公園の桜も、

なかなかいいものですよ。

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H N:健太

年 齢:昭和生まれ

性 別:男性

誕生日:10月31日

職 業:団体職員

趣 味:写真やビデオの撮影

     ギターも大好き

自己紹介:桜が好きで始めました

    親鸞聖人を心から慕ってます